一休禅師の歌に「世の中は食うて糞して寝て起きて、さて、その後は、死ぬるばかりよ」というのがあります。一つの悟りの境地を表したものだといわれているようです。まぁ人生というものは突き詰めればそれだけのことかもしれません。この歌をちょっと読めばおわかりのように、この人生には愛するという営為が欠けています。きっと悟りのためには愛は不要なのでしょう。なぜなら愛は悟りにとって、死を前に迷いを呼ぶ障害でしかないのですから。演出家の秋葉さんは公演の1年以上前に今回の台本を僕に依頼しました。そして僕はこの台本を書きあげるのに1年以上かかりました。最初の半年は持ち前の怠惰によるものでした。公演の半年以上前に台本が出来上がっていたら御の字でしょとたかをくくっていました。そして半年が過ぎ、そろそろ馬力をかけるか、と思った時に3月11日を迎えました。それから半年が過ぎるまで書き上げられなかった理由は、迷いでした。あの未曾有の大災害を前に果たしてお芝居なんかやっていていいのか、何よりも頭ででっち上げた筋書きが、この恐ろしい惨劇を前に意味を持つことができるのか。それは僕だけでなく、演劇という表現に関わる人間は誰しも似たような思いを抱いたのではないでしょうか。その思いは、正直に言って今でもあります。ただ僕がこの台本を何とか書き上げることができたのは、震災後しばらくしてから伝えられたあるニュースに触れたからでした。震災後、結婚する人が増えている。千年に一度の震災と津波、それに続く原発事故というかつて経験したことのない不安の中で、それでも男と女は(あるいは同性同士でも)お互いの存在を必要としている。愛などなければ、死ぬことも恐れることなく、泰然と人生を過ごすことができる。しかしそれでも人は迷うことを選ぶ。この台本の構成は当初の構想と少し(かなり)ずれてしまいました。もしかすると物語として整合性を失っているかもしれません。それは今でも僕の中に根を張り続ける迷いを反映したものでしょう。といいつつも、ここまで書いてきたことは台本の質があまり良くないことの責任を大震災に押し付けただけの与太話かもしれません。それはお客様自身の目で確かめてくださいますようお願い申し上げます。